沿革

これまでもこれからも。地域を支える病院として

重工記念長崎病院の外観 重工記念長崎病院の外観

1897

(明治30年)

10月

三菱長崎造船所従業員の健康増進強化として、ベッド数30床の洋風2階建ての工場附属病院として誕生する。

明治時代の造船所50年の全景
創立当時(明治30年)の三菱病院(の建物)

1918

(大正7年)

10月

赤レンガ造り3階建、エレベーター・レントゲン室・ラジウム治療を備えた、ベッド数100床の西日本一の最新式病院となる。

左右に分かれたモダンな作りの階段
左右に分かれたモダンな作りの階段
三菱マークのついた窓枠がある玄関部の窓口
三菱マークのついた窓枠がある玄関部の窓口
三菱病院の看板
三菱病院の看板

1945

(昭和20年)

8月

原子爆弾により長崎市内は壊滅的被害に遭ったが、幸いにも当院は被害が少なく多くの被災者の治療に当たる。

当時の病院スタッフ集合写真
終戦直後の三菱病院。「HOSPITAL」の文字は進駐軍に病院であることを明示するために書かれた

1958

(昭和33年)

4月

総合病院として認可を受ける。

1959

(昭和34年)

3月

結核病棟86床が完成する。

1964

(昭和39年)

6月

三菱重工業株式会社長崎造船所病院と改称、ベッド数240床(一般124床結核86床)の病院となる。

昭和20〜40年代の三菱病院
昭和20〜40年代の三菱病院

1975

(昭和50年)

12月

筋コンクリート5階建・162床の新館が落成、一般病床223床となる。

昭和50年に新築された三菱病院
昭和50年に新築された三菱病院

1977

(昭和52年)

4月

一般保険医療機関としての認可を受ける。

1998

(平成7年)

4月

療養病棟を設置し220床となる。

2002

(平成14年)

12月

日本医療機能評価機構の認定を受ける。一般病院種別B

2004

(平成16年)

10月

ベッド数を減床し、199床の病院となる。

2007

(平成19年)

12月

日本医療機能評価機構の認定更新を受ける。審査体制区分2(Ver.5.0)

2008

(平成20年)

6月

療養病棟を廃止し、南病棟は一般病棟(亜急性期病床43床)となる。

2012

(平成24年)

7月

敷地内禁煙化

12月

日本医療機能評価機構の認定更新を受ける。審査体制区分2(Ver.6.0)

2014

(平成26年)

7月

ベッド数を減床し、184床の病院となる。

2016

(平成28年)

4月

医療法人 重工記念長崎病院として三菱重工(株)より独立する。

2020

(令和2年)

3月

重工記念長崎病院 新病院竣工

5月

重工記念長崎病院 新病院開院

6月

院内保育園を開設

2022

(令和4年)

1月

訪問看護ステーションを開設

2024

(令和6年)

4月

長崎県の二次救急輪番病院に参入

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