沿革
これまでもこれからも。地域を支える病院として
1897年
(明治年)
10月
三菱長崎造船所従業員の健康増進のため、ベッド数30床の洋風2階建ての工場附属病院として誕生する。
1918年
(大正年)
10月
赤レンガ造り3階建、エレベーター・レントゲン室・ラジウム治療を備えた、ベッド数100床の西日本一の最新式病院となる。
1945年
(昭和年)
8月
原子爆弾により長崎市内は壊滅的被害に遭ったが、幸いにも当院は被害が少なく多くの被災者の治療に当たる。
1958年
(昭和年)
4月
総合病院として認可を受ける。
1959年
(昭和年)
3月
結核病棟86床が完成する。
1964年
(昭和年)
6月
三菱重工業株式会社長崎造船所病院と改称、ベッド数240床(一般124床結核86床)の病院となる。
1975年
(昭和年)
12月
筋コンクリート5階建・162床の新館が落成、一般病床223床となる。
1977年
(昭和年)
4月
一般保険医療機関としての認可を受ける。
1998年
(平成年)
4月
療養病棟を設置し220床となる。
2002年
(平成年)
12月
日本医療機能評価機構の認定を受ける。一般病院種別B
2004年
(平成年)
10月
ベッド数を減床し、199床の病院となる。
2007年
(平成19年)
12月
日本医療機能評価機構の認定更新を受ける。審査体制区分2(Ver.5.0)
2008年
(平成年)
6月
療養病棟を廃止し、南病棟は一般病棟(亜急性期病床43床)となる。
2012年
(平成年)
7月
敷地内禁煙化
12月
日本医療機能評価機構の認定更新を受ける。審査体制区分2(Ver.6.0)
2014年
(平成年)
7月
ベッド数を減床し、184床の病院となる。
2016年
(平成年)
4月
医療法人 重工記念長崎病院として三菱重工(株)より独立する。
2020年
(令和年)
3月
重工記念長崎病院 新病院竣工
5月
重工記念長崎病院 新病院開院
6月
院内保育園を開設
2022年
(令和年)
1月
訪問看護ステーションを開設
2024年
(令和年)
4月
長崎県の二次救急輪番病院に参入